大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
げばす(失敗する) |
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私:今日はとんでもなく素敵な内容だ。僕は遂に「げばす」の語源を明かしてしまったらしい。15年かかった。 妻:ほほほ、また何を大げさな。そもそもが「げばす」ってどう意味?名古屋じゃ使わないわよ。 私:ではその辺から全国の皆様にも判り易くご説明申し上げよう。「げばす」はバ行五段活用動詞で「間違いを仕出かす」という意味。各種の飛騨方言サイトに記載されたり、各種の飛騨出身ラインクリエイターさん達のスタンプの語彙に採用されたり、飛騨方言に関心のあるブロガーが話題にしたり、とにかく飛騨の人々に愛され続けている動詞なんだよ。 妻:あなたがこのサイトを開設したのが2005年春だから研究が15年もよく続いたわね。しかも独力で。そして今になってやっと語源にたどり着いたのね。 私:そういう事だ。でも。ここにたどり着くまでに大変に重要な転機がひとつあった。今でもその日の事を思い出す。それは 2006/07/16 書き下ろし>一語>げばす>発見!これぞ、げばす、の語源を上梓した時だ。今でもあの時の興奮は忘れられない。方言の神様が突然に私の前に現れて語りかけてくださったように感じた。 妻:つまりは方言サイトを開設して一年半後に語源にたどり着いたのね。何だろう、何だろう、と、一年以上も考え続けて遂に突然に思い浮かんだ仮説、それは興奮するわね。でも、今日のお話は?今は2020年6月だから更に十四年の月日が流れているわよ。 私:当時の僕と今の僕では別人も同然だ。この14年の間に数えきれないほどの方言学の専門書を読んだ。国語学の読み物も片っ端から読んだ。辞典の類もせっせと買いためた。知識は飛躍的に広がり、解析する武器、つまりは多くの辞典が増えた事によって、語源をピタリピタリと当てられるようになったんだよ。 妻:ははあん、つまりは2006年に語源が「蹴外す」ではないかと思いついた時はあなたは初学者、当時のあなたへ今日のあなたからの伝言という訳ね。14年前の自分へのメッセージ。 私:そうだ。その通りだ。そして最終結論を先ほどは辞典から探し出すことに成功し、「蹴外す」は素晴らしい仮説だが実は真実ではない、という事に気が付いてしまった。 妻:もったいぶらずに、辞典で見つけた古語ってどういう言葉なの? 私:「かけはづす」だ。 妻:なるほど。「蹴外す」で活用その他が何もかもあっているけれど、どうして古語辞典に「けはづす」の記載がないのだろう、と14年ほど悩み続けていたのね。「かけはづす」は古語辞典にオンパレードの動詞という意味なのよね。 私:まさにその通り。まさにコロンブスの卵だ。でも2006年に「蹴外す」仮説を上梓した時は、僕は俚言だから古語など見つからなくて当然と考えていたんだ。今、振り返っても浅はかな考えだった。その後の僕は今日に至るまで数々の飛騨方言の語源、つまりは言葉の謎解きを楽しんで来たが、古語辞典に語源の記載が無かった単語など一つもない。でも、どうして「げばす」にはそれが無いのだろう、とずうっと14年間、心に引っかかっていたんだ。 妻:今日の発見って、なにかきっかけがあるでしょ。 私:そう、その通り。初心に帰って、まずは「げばす」は俚言か共通方言のどっちか、確認しようと思ったという事。実は昨日まで、飛騨の俚言だと思い込んでいた。ひとつには2005年以来、ネットの方言情報は片っ端から調べ上げているつもりだが、「げばす」は飛騨からの発信しかなかったからさ。でも、今月に手に入れた日本方言大辞典を先ほど読んだところ、「げばす」は長野県下伊那郡、富山、北飛騨、の記載だった。つまりは飛騨の俚言ではない。下伊那郡や富山では「げばす」は人気のない言葉なのだろう。従って若者がネット発信する事もない。伊那郡の文献は信州下伊那郡方言集(井上福美/1936)、そして富山は越中方言集(伊藤風年/1897)と越中砺波方言集(林政二/1942)が出典だ。砺波では戦後辺りまでは「げばす(失敗する)」が話されていたのだろう。飛騨では令和の時代にバリバリに活躍している言葉だ。 妻:出典をそこまで書けるって、説得力あるわよ。飛騨の俚言じゃない事が確定したのね。じゃあ必ず古語辞典に記載があるはずね。若しかして「けはずす」の前に脱落した幻の音韻があるのではないかと考え、古語辞典で片っ端から「・けはづす」を調べたのよね。 私:そう、その通り。僕の得意技は辞書を隅から隅まで見る事だ。日葡辞書の記載が秀逸で、感激が未だに留まらない。Caqefazzuxi, su, uita (掛け外す)飛び立つ鳥に網を投げかぶせようとして、かぶせそこなう、 ははは、説明は不要だろう。つまりは安土桃山から現代に至るまでざっと5世紀の間に「かけはづす」「けはづす」「げばづす」「げばす」の音韻変化が生じたのだろう。僕の名誉がかかっているのでうかつな事は書けないが100%、間違いないね。要は5モーラが3モーラになったという事だが、まずは最初「か」の脱落だが、「かける」は中高アクセントでアクセントの滝は「け」だから、「け」が脱落する事は絶対にないが、その一方、アクセント核の直前のモーラ「か」は容易に脱落してしまう。「づ」が脱落するのはあっという間の事だったろうね。 妻:どうして? 私:ははは、説明しよう。同じ理由だ。「はづす」は尾高アクセントでアクセント核は「す」だから直前のモーラ「づ」は脱落しやすい。そもそもが日本語なので、つまりは動詞なので活用語尾つまりは「す」が脱落する事も絶対に無いしね。複合動詞で「かける」+「はづす」で「けはづす」の尾高アクセントになってしまったから、つまりは上がり目の「は」が脱落する事もないしね。 妻:それって若しかして、あなた独特の方言の世界ね。 私:なんとでも言うがいいさ。飛騨出身の僕が「げばす」の語源を見つけたと喜んでどこが悪い? 妻:でも良かったわね、今日までコツコツと飛騨方言の研究を続けて来て。 私:昨年2019年末に10年ぶりに再開して、今尚、数々の発見が毎日のようにある。僕は方言の神様にどれだけ感謝しても感謝しきれない。 妻:ほほほ、日葡辞書に裏付けられたのだから「げばす」の語源は「掛け外す」という事が実証されたのよ。おめでとう。誰も反駁できないわね。でも「蹴外す」を仮説と書いていて本当に良かったわね。慎重な姿勢が良かったのよね。それにしても「蹴外す」説は当たらずと言えども遠からずね、両動詞とも五段活用で、瓜二つね。ほほほ 私:ははは、からかいやがって。それに言葉を返すとなれば「遠からず」じゃないね。「近いと言えども当たらず」だ。真実はひとつしか無い。語源はひとつしかない。「蹴外す」説は単なる仮説だった。今じゃお笑い種だ。真実は「掛け外す」、そしてそれは日葡辞書の中にあった。改めて日葡辞書の偉大さを思い知らされたよ。 妻:ほほほ、日葡辞書はあなたの永遠の恋人なのよ。これからも大事になさるがいいわよ。 私:僕は死ぬまで日葡辞書を手放さない。 妻:素敵な考えね。ちっとも Caqefazzuita (掛けはずいた)話じゃないわよ。 |
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